• 取材した農家の方々

  • 下北春まなの日浦マサさん

    下北春まなに関わる人、伝統を守ってきたご先祖様、全ての人に感謝の心を忘れず、毎日下北春まなに「ありがとう」と声をかけながら育ててる日浦さん。下北春まなには愛情がたっぷり詰まっています。

    日浦マサさん
    下北春まなの伝統を守るべく

    下北春まなの伝統を守るべく

    奈良県の南部にある下北山村。冬季の激しい昼夜の温度差ときれいな水、そして栄養豊かな土が、下北春まなを生み出しました。この土地でしかおいしく育たない春まなは、下北山村を代表する伝統野菜です。日浦さんの家では、先祖代々春まなの栽培が受け継がれてきました。しかし、ご近所に配る程度で、その集落でしか味わられていない野菜でした。日浦さんは、「こんなに甘くておいしい野菜は商品化するべきだ。」と20年前に思いつき、村の商工会と協同で取り組み、今や漬け物だけでなく、アイスクリームや春まなうどんなどと、多彩な食べ物が登場しました。日浦さんの積極的な活動により、テレビまでにも取り上げられるほど、下北春まなの名は昔と比べて多く知れ渡りました。

    昔から重宝されてきた

    昔から重宝されてきた

    日浦さんのひいおじいさんの時代の頃は、下北山村では、山小屋に泊まり込みで山仕事に行くのが日常でした。特に冬季は積雪がすごく、日が暮れる頃には家に帰るのは困難だったそうです。その為山小屋には保存食として、下北春まなの漬け物が貯蔵されていました。持参したおにぎりを春まなの葉で巻いた「めはりすし」やみそ汁の具として食していたそうです。保存が利き、ほうれん草より栄養価が高い春まなは、とても重宝されたそうです。

    守られる伝統野菜

    守られる伝統野菜

    商品化に取り組まれた当初は、農家の方はたった3人だけだったそうです。しかし、商品化が進んだ今でも、全体で7人しかしないとのことです。下北春まなの知名度を向上させる為には、農家の方がもっと必要だと感じてしまいます。なぜ、農産地を拡大しないのでしょうか。その理由について日浦さんが教えて下さいました。「下北春まなが広まっていくのはとても嬉しいが、塩加減や漬けかたなど昔から受け継がれている味を守る為には、大規模に拡大する訳にはいかない」とのことです。また、近くにある三重県熊野市でこの下北春まなを育てたとしても、全くおいしく育たないそうです。この土地でしか育たないことも生産地を拡大しない理由のひとつでもあります。しかしながら、農家が少ないとはいえ、今年の生産量の見込みは2,000kg以上だそうで、毎年生産量が増え続けていることには驚きを隠せません。

    子供たちの学習にも

    子供たちの学習にも

    テレビ取材だけでなく、村の小学校や中学校からも学生達が見学や農作業体験に毎年来るそうです。日浦さんは子供達に優しく入念に下北春まなについて説明されるそうです。村の子供達に少しでも、伝統野菜について興味を持ってもらえたら嬉しいとのことで、積極的に取り組まれています。子供達はお礼のお手紙などを毎回送ってくれるそうです。それら全てが、日浦さんの宝物となっています。

    野菜作りをしていて

    野菜作りをしていて

    苦労したことは、多くの春まなが商品化できなかったことだそうです。その原因は、一時期温暖な気候が続き、商品化の規格を越えるほど大きく育ってしまったことです。その為、今では気温を研究し、様子を毎日伺いながら栽培されているそうです。最近では、規格外の春まなについては、粉末に加工し、まな味のソフトクリームや、ケーキに利用されています。
    良かったことは、やはり野菜を食べてもらった方に「おいしい」の一言をもらったときだそうです。「幻の野菜」と評価する方もいたそうで、日浦さんにとってその言葉は、今でも心に熱く残っているそうです。